東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)44号 判決
一 原告主張の請求原因事実のうち、特許庁における手続の経緯、本件発明の特許請求の範囲および審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
二 原告は、本件発明は芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩をロジンフラツクスの活性剤として用いたものである旨主張する。これに対し、被告は、本件発明をもつて芳香族三級アミンのハロゲン化水素酸塩を主要な成分とし、松脂またはワセリンまたは合成樹脂類に含有させた組成とするハンダ付け用フラツクスをその構成要件とするものである旨主張する。
ところで、当事者間に争いのない本件発明の特許請求の範囲の記載には、本件発明は特許請求の範囲所定の芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩を主要な成分とし、松脂またはワセリンまたは合成樹脂類に含有せしめたハンダフラツクスをその構成とする旨記載され、原告の主張するような芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩をロジンフラツクスの活性剤として用いたものである旨記載されているものではない。
しかしながら、成立に争いのない甲第二号証によれば、本件発明の詳細な説明には「本発明は芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩を主要な成分としてハンダ溶剤に含有せしめたことを特徴とするハンダ付用溶剤に係るものである。中略。従来ロジンは電気用ハンダ付フラツクスとして古くから使用され、前述の諸性質の内ハンダ付性をのぞいてはほぼ満足している。ロジンのハンダ付性についてはロジン中に含まれる有機酸、アビエチン酸及びその同族体の存在によるもので、その活性度は弱く、鉄、ニツケル、亜鉛等に対するハンダ付には、これ等に予めハンダメツキを施してから、ハンダ付を行う等の煩雑な手数を要し、従つてハンダ付を行うことができなかつた。然るに前述のロジンのハンダ付に於ける欠点を改良するため、活性剤として種々の有機、無機の塩類をロジン又はその誘導体、合成樹脂その他に含有せしめて用いられており、アミンの無機酸、有機酸塩が用いられた例がある。しかしこれ等はフラツクス作用、電気絶縁性その他の点でいまだに不充分であり、現在これ等の諸条件を満すものはない。中略。そこで発明者は第三級アミンを選び、これとハロゲン化水素酸塩とを反応せしめて、安定な塩を形成せしめてこれをハンダ付フラツクスの有効成分とした。これにより従来の第一級第二級アミン塩を主要成分とするフラツクスは、前述の如く種種の欠点を有しておつたが、第三級アミンのハロゲン化水素酸塩を用いることにより、ハンダ付能力を極めて大きくし、且前述の欠点を改善することが可能となつた。」旨(冒頭より二ページ左欄二行目まで。)、そして、「本発明のハンダ付活性剤としては、この第三級アミンのハロゲン化水素酸塩のうち、中略、を使用するものである。」旨(三ページ右欄一八行目より二七行目まで)記載されており、また、本件発明の実施例として(一)から(二)までが記載されているが、これらはすべてロジンをベースにし重合ロジンを添加したロジンフラツクスに関するものであることが認められる。そして、当該物質を活性剤として用いるということは、本件発明の目的、作用効果に関連する事項であつて、特許請求の範囲に記載することを要しない事項であるから、前記発明の詳細な説明の記載を総合して考えれば、本件発明は、原告主張のごとく芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩をロジンフラツクスの活性剤として用いたものであると解するのが相当である。
もつとも、本件発明の特許請求の範囲にはロジンのみならずワセリンまたは合成樹脂類についても記載されている。しかし、この点について、前記甲第二号証に記載された発明の詳細な説明には「一方第三級アミン塩は対応する第一級、第二級アミン塩にくらべ、親水性を減少し親油性を増大する。中略、親油性の増大はフラツクスベースに対する相溶性、その他を向上せしめる結果となり、又ロジンベースにした場合、第一級、第二級アミンの如きフラツクスの着色は認められず、ワセリン等と混和してペースト溶剤とすることもでき、或いはロジン中に一~一〇%程度混入して溶剤入ハンダとすることもできるもので、中略尚本発明におけるもう一つの特徴として、樹脂ベースに松脂のみでなく、合成樹脂(重合松脂など)を添加してフラツクスの耐湿性、電気絶縁性等を向上させていることである。」旨(二ページ左欄一四行から三二行まで)記載されている。この記載によれば、特許請求の範囲にいう「ワセリン」「合成樹脂類」は、あくまでもロジンベースを前提とするものと解するのが相当であるから、この記載をもつても前記認定をくつがえすことはできない。
三 そこで、以下に原告の主張する取消事由の有無について検討を加える。
(一)まず、第一引用例の記載内容についてみると、成立に争いのない甲第三号証によれば、第一引用例は、主として本件発明のフラツクスと同じロジンフラツクスの作用について述べているが、その中に「純ロジンは溶剤作用が弱いため最近はこれに活性剤としてアミン類の塩酸塩(例えばアニリン、ナフチルアミン、ヒドロオキシールアミンまたはナフタリンのテトラクロライド等の塩酸塩)を数%添加したものが使用されている。これを活性化ロジンという。」旨の記載がみられる。この記載のうち括孤内にとりあげられたアニリン,ナフチルアミンは芳香族第一級アミンに該当し、ヒドロオキシールアミンは第一級アミン類の一種とみることができるから、これらの塩酸塩はいずれもアミン類の塩酸塩に該当するといえるが、ナフタリンのテトラクロライドはアミンではないから、その塩酸塩はアミン類の塩酸塩とはいえない。このように、数少く例示されたものの一部にアミン類の塩酸塩ではない物質が含まれているのであるから、ここに記載されたアミン類の塩酸塩なる記載が果して厳密な意味におけるアミン類の塩酸塩を総称するものと解してよいか否かは疑問である。もつとも、被告も主張するように、他の証拠をも総合すれば当時の技術常識として第一引用例のこの記載はアミン類の塩酸塩を総称していると解することができるならそのように解すべきであるから、以下被告の主張する各刊行物の記載について順次考察する。
(二)第二引用例について
1 第二引用例記載のフラツクスには芳香族第三級アミンのハロゲン化水素酸塩に属する物質が一成分として用いられていることは、当事者間に争いがない。
原告は、第二引用例記載のフラツクスはロジンフラツクスではなくアルミニウムハンダ付け用フラツクスである旨主張し、被告は、第二引用例記載のフラツクスはアルミニウム以外の金属のハンダ付けにも使用することができる旨主張する。成立に争いない甲第四号証によれば、第二引用例には「アルミニム、その合金あるいは接合に困難な他の金属」について接合を可能とする旨の記載がみられる(第三欄三九行以下参照)。しかし、ここにいう他の金属がどのようなものであるかについては具体的な記載はない。むしろ、同号証によれば、第二引用例記載のハンダ付け技術は、アルミニウムおよびその合金のハンダ付け法に関するものである(第一欄一五行から一九行まで)とされている。そして、従来知られたアルミニウムおよびその合金の溶接法では、アルミニウムとアルミニウム、アルミニウムとその合金をどんな場合でも完全に接合させることはできないが、「本発明は、フラツクス組成とそれの利用方法とを発見した。本発明者はそれが上に述べたような目的やそれ以外の目的を達成し、アルミニウムと他の金属を処理したり被覆したり接合することを可能にする。私の発明の主要な利点の一つはアルミニウムとアルミニウム、アルミニウムと他の金属をハンダ付けし、熱伝導度、電気伝導度、強さといつた優れた物理特性をもつたハンダ付け部分をつくることがはじめて可能になつたことである。」旨(第二欄五四行から六三行まで)記載されている。第二引用例におけるこれらの記載やその全文を通じて見れば、第二引用例記載の発明のフラツクスは、アルミニウムとアルミニウム、その合金およびその他の金属とのハンダ付けに関するものであつて、アルミニウムが対象金属として必須のものであると認められる。
ところで、成立に争いのない甲第八号証によれば次の事実を認めることができる。すなわち、一般に、ハンダ付け用フラツクスは「腐食性フラツクス」「中間フラツクス」および「非腐食性フラツクス」の三種類に大別することができる(同書二六ページ。)腐食性フラツクスは無機酸およびその塩からなり、急速かつ高度に活性なフラツクス作用が要求される場合に使用される(同書二六ページ。)このフラツクスはサーモスタツトやベローズのように密閉された容器のハンダ付けや組立てられた電気的器材のハンダ付けには用いられない(同書二七ページ)。これに対して、非腐食性フラツクスは、有機溶剤に溶かしたホワイトウオーターロジンがその代表的なものであつて、このロジンフラツクスは電気産業において用いるのに特に適するような諸性質を有している(同書二九ページから三〇ページまで)。そして、複雑な電気的機器のハンダ付けは腐食性の残滓が許されず、かつ、事後の洗浄が技術上不可能なため非腐食性フラツクスの選択が要求される(同書三一ページ)。また、アルミニウムのハンダ付けは、銅、真ちゆう、鋼、その他ほとんどの通常金属のハンダ付けとはいくつかの点で異なる。最も重要な相違点は、アルミニウムがより強固で処理しにくい酸化物を形成し、多くの場合、アルミニウムのために特に考えられた活性フラツクスの使用を必要とすることである。アルミニウム用ハンダ付けフラツクスは腐食性タイプのものであり、非腐食性フラツクスは用いることはできない(同書一二一ページ、一二七ページ)。
以上に認定したところからすれば、アルミニウムのハンダ付け用フラツクスとロジンフラツクスとでは、その性質、対象金属、使用分野において相違し、両者は同じくハンダ付け用フラツクスであつても技術分野を異にするものといわなければならない。してみれば、第二引用例記載のフラツクスは、第一引用例記載のフラツクスとその性質、接合対象金属を異にし、技術分野を異にするものというべきである。
2 被告は、本件発明のフラツクスは電子機器のハンダ付け用フラツクスであるとすれば、電子機器を構成する材料のうちの金属材料はアルミニウムその合金およびその他の金属類からなるのであつて、第二引用例記載のフラツクスと接合対象金属を共通にすることとなる旨主張する。しかしながら、アルミニウムは電子機器を構成する素材の一部として用いられることがあるに過ぎず、電子機器のうちで特にハンダ付けをする部分は、銅、鉄、亜鉛等アルミニウム以外の金属が大部分であることが明らかである。したがつて、本件発明のフラツクスが電子機器のハンダ付け用に使用されるからといつて、その素材のうちアルミニウムが用いられている部分についても使用されるということにはならないから、被告主張の事実よりただちに両フラツクスの接合対象金属が共通であるとすることはできない。
3 次に、被告は、第二引用例記載のフラツクスは使用ハンダの面からみても本件発明のフラツクスと使用分野を共通にする旨主張する。
しかしながら、ハンダフラツクスの分類はその成分の種類や施用対象金属の性質によつて定まるものであることは、前記甲第八号証、成立に争いない甲第六号証、同第一一号証、同第一七号証の一から三までの記載により明らかである。したがつて、その使用するハンダによつて定まるものではないから、本件発明のフラツクスと第二引用例記載のフラツクスとがたまたま同一のハンダについて使用されたとしても、このことからただちに両方のフラツクスが対象金属を共通にし、その使用分野を共通にするものということはできない。のみならず、前記甲第六号証によれば「電子機器のハンダ付け」には、錫と鉛からなるハンダのうちロジンフラツクスと共に電子機器組立用に用いられるのは錫の含有量が少くとも五五%程度以上のものであつて、三〇%程度のものではそのような用途には用いられていない旨の記載がある事実が認められる。したがつて、錫三〇、鉛七〇の組成比からなるハンダが必ずしも本件発明のフラツクスが目的としている電子機器用金属の接合に使用されるということはできない。
(三)第三引用例について
第三引用例記載のフラツクスがアルミニウムに対するハンダ付け用フラツクスに関するものであることは、被告も認めて争わない。してみれば、前項記載のごとく第三引用例記載のフラツクスと本件発明のフラツクスとでは、その性質、接合対象金属を異にし技術分野を異にするものというべきである。
これに対して、被告は、対象金属に適応した強さの還元清浄力を発揮するに必要な量を組成分量とすることは当業者の常套手段として可能である旨主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず、前記認定のごとく接合対象金属がアルミニウムとその他の金属とでは、フラツクスは腐食性か否か異なる性質、組成分を有するものを使用しなければならないとされているのであるから、単にその組成分量を調節することによりアルミニウム用とそれ以外の金属用のフラツクスとに区別することはできないものといわなければならない。
(四)乙第一、二号証は無効原因となる刊行物として提出されたものではなく、第一引用例の記載内容を解釈する資料として提出されたものにすぎないから、その内容について検討を加えることは妨げない。ところで、成立に争いのない乙第一号証によれば、同号証記載のフラツクスはヒドラジン塩およびヒドラジン誘導体の塩を主体とするものであることが認められる。そして、前記甲第八号証によれば、ヒドラジン塩およびその誘導体の塩を主成分とするものはロジンよりも高腐食性フラツクスであることが明らかであるから、乙第一号証記載のフラツクスはロジンフラツクスではないものと解すべきである。同号証にはロジンと混合して使用される場合もある旨の記載はあるが、これは、ロジンを成形剤として使用することを述べたにとどまるから、この記載をもつて前記認定をくつがえすことはできない。また、成立に争いない乙第二号証によれば、同号証記載のフラツクスはヘキサメチレンテトラミンのハロゲン化水素酸塩を主体とするものであるが、これがロジンフラツクスの活性剤として使用されるものである旨の記載は見当らない。
(五)以上認定してきたところによれば、第二、第三引用例、乙第一、第二号証に記載された各フラツクスはいずれもロジンフラツクスに関するものとはいえず、ロジンフラツクスとアルミニウムハンダ付け用フラツクスとはその技術分野を異にするものというべきであるから、これらの記載に基づく当時の技術水準を考慮してみても、第一引用例の前記記載がアミン類の塩酸塩もしくは芳香族アミンのハロゲン化水素酸塩を総称しているものと解することはできない。
そして、前記のとおり第二、第三引用例記載のフラツクスがアルミニウムハンダ付け用フラツクスに関するものであり、アルミニウムハンダ付け用フラツクスとロジンフラツクスとではその技術分野を異にするものであるから、これらの引用例においてフラツクスに芳香族第三級アミンの塩酸塩を添加することが記載されていても、このことは、本件発明と技術分野を異にするアルミニウムハンダ付け用フラツクスの分野において活性化作用を有するアミンの塩酸塩として芳香族第三級アミンの塩酸塩が知られていたというにすぎない。
以上の次第であるから、本件発明がロジンの活性剤としてアミンの塩酸塩の中の芳香族第三級アミンの塩酸塩を単に選択したものにすぎないということはできない。したがつて、審決にはその認定に誤りがあることが明らかである。
四 よつて、審決には原告主張の違法があるから、原告の請求を認容する。